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「ぼくのなつやすみ」から感じること

 今回は打って変わって、テレビゲームから学んだことについて感想を書いてみます。


 本サイトの作者はテレビゲーム、特にRPGが大好きで、一度の人生で様々な人生を経験できる、という学びがある娯楽だと思っています。

 今回感想を書きたいのは「ぼくのなつやすみ」というゲームについてです。

 


今年も夏が近づいて来ました。

「ぼくのなつやすみ」は昭和の頃の夏休みを「ぼく君」として過ごすゲーム。 虫捕りや虫相撲、探検をしたり、「ぼくのなつやすみ2」になれば海を泳いだりして日々を過ごしていきます。

「あの頃の夏は毎日が輝いていた。」


 過ぎ去り、もう二度と経験することができない夏休みの思い出を振り返ることになります。

「いつからが大人なのか。」 「いつからこの無邪気さを無くしてしまったのか。」 「いや、ゲームをすれば蘇ってくる無邪気さ。今は社会に揉まれて内に潜んでしまっただけ。。」

とか感じながらプレイすることになるでしょう。

今回書きたいのは、こういった、子供の気持ちをを思い出せるよ、という話ではありません。 書きたいのは、ぼく君と過ごす町の人のそれぞれのストーリーです。

誰もが悩みを持っている


 現代の特に東京のような大都市では、毎日同じ電車に乗っていて、毎日顔を合わせるような人がいても、その人がいったいどんな人生を過ごしてきたかわかりません。

「ぼくのなつやすみ」では、夏休みの期間、田舎暮らしをするため、住んでる町の人と密に関わる1ヶ月を経験することができます。

 初めは、誰もが普通に生活をしているだけに見えるのですが、深く関わると誰もが一つや二つ悩みを抱えて生きていることがよくわかっていきます。

そうなんです、誰もが悩みを持っている。  他人との関わりが薄くなってきた現代社会では、そのことに気づくタイミングが少なくなってきている気がします。

ぼく君はそのことに気づかせてくれるのです。

 

 電車に乗っている大勢の人みんなが悩みを抱えているのだろうな、と考えると思いやりの気持ちが強くなり、 またぼく君みたいに無邪気に話しかけたくもなります。(いきなり話しかけたら不審者になってしまう世の中ですが。。)

みんなが社会に潰されませんように。


 

と、こんな感じで、ゲームについても思ったことを書いていきたいと思います。

 RPGを進めていくときの好奇心と科学の成果を知るときの好奇心は一緒ではないか、と私は思ってます。

 RPGではゲームの中の人物の物語を知りたいという欲求

 科学では人類や宇宙の今までの歴史やこれから、すなわち物語を知りたいという欲求

です。

RPGと科学は一緒。

おしまい

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