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自閉スペクトラム症と「空気」

 こんにちは。

 現在、「「空気」の研究」(山本七平著、1977年)を読んでいます。

 日本の社会に存在し、日本人を支配してしまう「空気」について研究した本であり、


  • この「空気」が、現在のコロナウイルス感染症の流行の中でも姿を現している

  • 日本の将来のためには、「「空気」が支配しない社会」=「自閉スペクトラム症が障害として扱われない社会」に変わっていく必要がある


ということを、読んでいて感じたので、本記事では、私がこの本を読んで感じたこと等をまとめたいと思います。


「空気」とは何か

 本書では、論理的判断の積み重ねよりも優先され、それにより判断が決定されるもの、それが「空気」だとしています。


 その「空気」による判断の例として、太平洋戦争中の戦艦大和の突撃が例に挙げられています。

 いかなるデータからも、戦艦大和は突撃すベきてないことが示されていましたが、それでも、その時の日本の軍部の「空気」からして、突撃せざる得なかったために、当時の「空気」を知らない人が後に振り返ると、説明がつかない判断がされていた、ということです。

 実際に、連合艦隊司令長官の戦後の言葉には、「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏しようと思わない」とあり、「ああせざるを得なかった」というのは、当時の「空気」によるものだと言えます。


 本書では、更に、この「空気」の支配をなぜ日本人は強く受けてしまうのか、どのように「空気」が醸成されているのか、を分析しており、明治維新の頃の啓蒙主義や、それ以前からあった「水を差す」という文化の話などが展開されており、とても興味深いものですので、是非読んでみてください。


 さて、このような「空気」の支配は戦前までの話か、というと、そうではありません。

日本では「KY(空気読めない)」という言葉や、「忖度(そんたく)」という言葉が流行語になるとおり、論理的判断とは別に、その場の「空気」を読んで行動をしない人は「村八分」にされてしまうような雰囲気が今でも残っています。

(「忖度」はまさに「「空気」による判断を行うこと」と言い換えることができるのでは、と思います。)

 そして、今のコロナウイルス感染症の対策においても、「空気」による判断がされている場面が多くあると思います。


新型コロナウイルス感染症の流行に対する政府の対応と「空気」

 今回の新型コロナウイルス感染症の流行に対しては、政府も西浦教授をはじめとする研究者の意見を聞き、かなり科学的な対応を行なってきており、評価できる部分も多いと思います。しかし、「空気」による判断も見受けられました。

 一つ明確なのは、研究者が数理モデルにより算出した「8割」の接触削減目標に対して、

政府は、「できれば8割、最低でも7割の接触削減」という方針を示した場面です。

 これは明らかに、8割では経済界へのダメージが大変だから、少し緩和せざる得ないという「空気」が介入したのでしょう。感染症の流行が長引けば長引くほど、経済へのダメージは大きくなるのに、です。


 結果的には、今のところ第1のピークは過ぎ、政府の「空気」による判断は上手くいっているように見えます。

 これは、強制力はないのに、日本国民の「外出してはまずい」という「空気」による自粛判断のおかげ、とも言えます。

(一方で、ただの想像ですが、ピークを過ぎたように見えるものの、無症状が多いために、まだまだ感染が広がっている可能性もあります。そして、もし、まだ知られざる症状、例えば不妊になってしまう、という症状があった場合には、「空気」によって、緩い判断しかできなかった政府により、日本人は絶滅に向かって進むことになります。(筆者はSFの読み過ぎ。。))


 このように、日本における「空気」は時によって、人々の判断を強制力なしに大きな方向に動かし、良い方向に進めることもあれば、後から振り返って、「ああせざる得なかった」というしかないような、愚策を選択する判断をさせることもあるのです。

 日本人は、この「空気」の移り変わりが速く、「水を差す」ことによって通常に戻り、うまく歴史を歩んできたと言えます。

 しかし、取り返しのつかない選択もあり、「空気」による支配を是とするべきではないと私は考えます。「「空気」の研究」でも以下のように記載されています。

もし日本が、再び破滅へと突入していくなら、それを突入させていくものは戦艦大和の場合の如く「空気」であり、破滅の後にもし名目的責任者がその理由を問われたら、同じように「あのときは、ああせざるを得なかった」と答えるであろうと思う。

 「空気」が支配しない社会にするにはどうしたら良いのでしょうか。 


自閉スペクトラム症は障害か

 本書を読みながら、以前読んだことのある以下の記事のことを思い出しました。

自閉症者が人類社会に「不可欠」である理由〜実は障害ではない!

 自閉症は単なる遺伝的多様性の一つであり、その遺伝が自然淘汰されてこなかったということは、人類の発展において不可欠なのだ、という内容になっています。

 記事では、人類社会には以下の2種類の人物が必要であり、前者が自閉スペクトラム症の人物だとしています。

社会的周縁に存在し、自然界のなかで自分たちがどう生きていくかに思いをめぐらす人物と、集団・社会内で互いの利益を調整し、どう上手くやっていくかに思いをめぐらす人物がいる

 このように、人類の発展に不可欠な自閉スペクトラム症の人々は、不可欠な存在ではあるものの、人類にとって少数です。

 多数派の社会内での調整が得意な人たちによって、少数派が生きにくい社会へと次第になっていき、特に日本では集団・社会内でしか発生しない「空気」による支配が生まれ、自閉スペクトラム症の人々は障害がある人と扱われるようになってしまったのです。


 すなわち、自閉スペクトラム症は障害ではなく、人類の発展に欠かせない存在であったのに、集団・社会の中で生きる多数派が、自分たちの生きやすい社会を作っていき、今では自閉スペクトラム症を「障害」として扱ってしまっている、ということです。


 自閉スペクトラム症の人たちが、今の社会の中で障害者として扱われてしまう大きな原因は「空気」にあります。自閉スペクトラム症の人たちは「空気」を読むのが苦手です。「忖度」できないでしょう。

 しかし、今後の日本のことを考えると、「空気」による支配、「忖度」が必要な社会は変わっていくべきだと思います。

 自閉スペクトラム症の人たちを、「障害者」として受け入れる社会ではなく、個性として受け入れることができる社会になっていく必要があるのです。


 そのためには、

  • 自閉スペクトラム傾向のある人たちが社会を作っていく側に進出していき、「空気」による支配を壊していく

  • 「空気」による支配から脱するべき、という「空気」を作る

のいずれかが必要になります。

 後者は、「空気」による「空気」からの日本人の解放、という難しい道に感じます。

そのため、前者の方法が必要になるのではないかと考えています。


科学エンタメ化計画で

 以前の記事でも紹介しましたが、科学エンタメ化計画は絵本を作成することが目的ではありません。詳細は以下の記事を参照していただければと思いますが、博士号取得者の活躍する社会を作るというのも一つの科学エンタメ化計画達成に向けた中間地点と考えています。

https://www.sciencepromotionportal.com/post/科学エンタメ化計画


 博士号取得者(特に自然科学系)は、集団・社会よりも自然に対して興味を強く持っています。私の予想では、「自閉スペクトラム傾向」のある遺伝子を持っているのでは、と思います。

 このような人たちが社会でもっと活躍するようになれば、「空気」という集団・社会でしか発生しないものに囚われない層が増加し、次第に「空気」による支配は消えていくのでは、と思います。


 自閉スペクトラムは障害ではない。「空気」による支配が障害なんだ。

 自閉スペクトラムは日本を救う。


おしまい


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