• Shungo

「自分」とは何か


日々生きていて、ふと

「「自分」って今この自分を指している意識ってなんなんだろう」、

と疑問に思い、グルグルと頭の中で思考が行き場もなく彷徨った経験は、皆さんないでしょうか。


私は、昔から「意識」って何だろうって思うことはよくあって、脳内の電気信号ネットワーク的なものが意識を生んでるとかどうとか聞いて、ふーんって納得したり、「意識」なんてそもそもない、なんて思ったり、、、

色々考えていましたが、「自分」って言う意識の観点から考えたことについて、素人考えの考察ですが、ここに書き留めておこうと思います。



1.脳の詳細な化学的な状態を完全にスキャンして複製できたらどうなるか


意識というものが脳によって作られているとして、脳も様々な原子、分子から成っています。

「今」まさに「自分」を意識している脳の化学的状態をAとします。

これと全く同じ化学的状態Aの系をどこか別の場所に作った場合、そこには「自分」(その状態Aが再現されている場所?)を意識する「意識」が生まれるのでしょうか。


2.「自分」と言う意識を持っている「過去」と「今」

1.で考えたのは同時に化学的な状態Aが別の場所に存在した場合でしたが、次に時間の違いを考えてみました。「過去」に「自分」を意識した時の脳の化学的状態をBとして、その時に意識している「自分」と、「今」状態Aで意識している「自分」とは同一の「自分」だと当然感じます。

しかしなぜ、同一だと感じるのでしょうか。


○一対一対応ではなく変化が意識


1.と2.の状況をもう少し考えてみます。

意識は脳の化学的状態から生まれるとして

脳の状態Aに属する意識を意識A

脳の状態Bに属する意識を意識B

とします。 それぞれの「意識」の中に「自分」という存在を感じるので、

意識Aが感じる自分を自分A

意識Bが感じる自分を自分B

としましょう。

1.の状況では、意識Aが2地点に同時に存在し、それぞれが自分Aを同時に感じるているわけです。

どちらも自分Aなので、意識Aは二ヶ所に自分がいると感じるのでしょうか?

いえ、そんなことはないでしょう。それでは別地点の脳の状態Aがリンクしてることになってしまいます。 1.の設定は、ただ全く同じ状態Aを作っただけです。

では、状態Aの複製元となった方が死んでしまうなどで、意識がなくなった場合、どうなるでしょうか。

複製元となった意識Aがなくなり、複製元の場所に存在を意識されていた自分Aもいなくなります。複製元の意識Aは終わりです。

複製された意識Aは残り続けますが、元の意識Aからの継続性はなく、それは完全に別の意識だということではないでしょうか。

よく、意識をコンピュータに移植して身体が無くなっても意識だけ生き残る、というSF的な設定を目にしますが、

失った方の身体にあった意識は、そこで終わり、同じ状態のデータをコンピュータに入れたとしてもそれはまた別の存在なのです。 仮に同じ意識として継続性があるとしたら、1.の設定のように複数箇所に同じ意識Aを作り出したら、同時に複数の場所に自分Aを感じるという自明におかしなことが起きるわけです。

次に2.の状況では、異なる時間の状態AとBから生まれる異なる意識AとBによる自分AとBが、同一だと私たちは自明に感じます。

以上のことより、「意識」を脳の状態と一対一で対応させると矛盾が生じ、むしろ脳の状態の変化が「意識」を生んでいると考えた方がしっくりくるのではないか!と思いました。


そうすると1.の場合は、状態を再現して、今までの記憶も同一の状態Aが持つ意識は、複製された方では突然記憶にはない場所であるという視覚情報が入ってくるため、複製元で意識される自分Aとは異なる自分を意識する意識が生まれるでしょう。

2.の場合は、正に過去の状態Bから今の状態Aへの変化が意識を生んでいると思えば、Bで感じる自分BとAで感じる自分Aは連続的に意識されるため同一だと当然感じるでしょう。



○まとめ

状態の変化は「時」の経過がないとあり得ず、

「意識」は「時」が生み出したもの、、、「時」ってなんなんでしょうね。

時間は存在しないという本を以前紹介しましたが、そこでは時間の流れが存在しない、と説明されています。

「時間は存在しない」を紹介したYoutubeへリンク https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=2Qa55--ljWc


ということは、意識も存在しないということになります。 ただの刺激に対する変化を理由付けして解釈するためだけに意識というものを持ち出しているだけで、

時間の流れもなく、因果律もなく、解釈を挟むことができない世界では意識はない。

と、素人ながら考えました。 哲学や科学は誰もが自由にやって良い敷居の低いものであるべきで、批判を恐れず、不勉強ながら思ったことを書かせていただきました。

読んだ方で同じように哲学や科学に興味を持つ方が増えることを祈って。


ここまで読んでくださった方はありがとうございました。


おしまい

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