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細胞と心 人と国・民族(近況報告1)

お久しぶりになります。

2020年の最後に「なんで?のき」を完成させて以来、色々とアイディアだけは出てくるのですが、なかなか手を動かす時間がなく、何も更新をできていませんでしたので、近況報告として、最近考えていることなどを四つの記事に分けて書きたいと思います。


一つ目は、最近読んでいる本、「生命、エネルギー、進化」をきっかけにした妄想の話です。


この本では、どのようにして細胞が地球でできたのか、から始まり、細菌・古細菌(原核生物)だけだった世界から、どうやって複雑な特徴を持つ私たちにつながる真核生物が誕生したのか、また、なぜ、真核生物の誕生が1度だけしか地球で起きなかったのか、という話を、「エネルギー」に着目して、考察しています。


この本の感想などについては、まだ読んでいる途中なので、読破してから記事にまとめたいと思います。

今回は、この細胞の誕生なくては私たちは存在し得なかった、という事実から広がった妄想となります。


私たちは心で感じ、心で判断する。ここでは、何かの意思決定をする際の重要で複雑な要素であり自身の責任者となるものを「心」と呼びましょう。要するに「心」は「概念」です。(意思決定を自由に人間はしているのかは議論があります。)

そして、唯物論に立てば、体に宿る概念である「心」は、体を構成する「細胞」によって形成されます。


この「細胞」と「心」の関係において、「人」と「国・民族」の関係で生じるものと同じ問題を抱えているのでは、とふと思いました。


例えば、10年前に犯罪を犯し、懲役10年以上で、刑務所にいたとします。

この人は、10年前の責任者である「心」によって犯罪を犯し、刑罰を受けています。


すなわち、10年前の「心」は10年前のその体を構成する「細胞」によって形成されたもののはずです。

人の「細胞」の大部分は数年で入れ替わります。

となれば、10年前に自分の体を構成していた「細胞」たちは既に世代交代していて、

「僕たちは何もしてないよ!」という状態です。


「記憶」だけが、前の世代の悪行を記録しているのです。

これについては、特段注目されませんが、「人」と「国・民族」の関係では、明確な問題となって注目されます。


例えば、日本と韓国の関係においては、太平洋戦争中の問題で未だに揉めることがあります。しかし、国民一人一人を見れば、大部分は当時生きていたわけではなく、ただ「歴史」として記録があり、知っているだけです。

しかし、今生きている国民同士でいがみ合うことがあります。


他にも、「進撃の巨人」において、エルディア人という民族が、過去の虐殺行為を理由に、収容区に閉じ込められて、虐げられています。しかし、その過去の虐殺を行ったエルディア人は既に全員世代交代しており、今生きているエルディア人は誰も、虐殺なんてしておらず、ただ「歴史」として記録されている先祖たちの行為を理由に、苦しい思いをしています。


どれも、同じ構造です。

「細胞」と「心」、「人」と「国・民族」

同じように、構成物である「細胞」や「人」が世代交代しても、「心」や「国・民族」といった概念だけは、継続したものとして、後世に繋がっていくのです。



「細胞」と「心」の視点で言えば、

未来の自分の(「心」の)ために、今、行動を一つ一つ選択する、というのは当然のように思います。

未来では、細胞は今の自分じゃなくて、違う世代に変わるから、記憶だけ繋がっていくけど、未来の自分なんてどうでも良い、と考え行動する人は少ないでしょう。


同じように、「人」と「国」でも

未来の「国」では、自分や自分の大切な人たちが生きているわけではないんだし、歴史だけ繋がっていくけど、未来の国のことなんてどうでも良いや、

と思わないで、一人一人が行動していくことが大切なんだと、思います。


12年前の調理実習で、塩ひとつまみ入れるところをかなり入れてしまい、かなり塩っぱいミートソーススパゲッティを班員全員が食べることになってしまったことがありましたが、

あの責任者は12年前の細胞からなる私(の心)なので、今の私を責めないでください。

ということも同時に思いました。


近況報告第一弾

おしまい





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